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偕楽園周辺に潜む無数の洞穴を現地探索!?その謎を追ってみた②

執筆者の写真: コフンねこコフンねこ

更新日:2019年7月2日

前編→ https://www.ourlocal-info.com/blog/mito-doukutsu1



水戸の偕楽園周辺に連なる約10個の謎の洞窟。



いったい誰が?何の目的で?



その答えを探る後編、スタートです。


 

答えはすぐそこに……

洞窟の中でも唯一偕楽園の内部に存在する『南崖の洞窟』



実はその解説看板に答えが書いてあった。




そう、これらの洞窟は偕楽園周辺で採れる「神崎岩(凝灰質泥岩)」という良質な石材の採掘坑だったんだ。



解説看板によればその採掘は徳川光圀(水戸黄門様)の時代、つまりは江戸時代のかなり最初から行われていたとのこと。





なるほどそりゃ昭和5年に描かれた鳥瞰図にも描かれるわけだ。



これで謎は解けた……わけではありません。



残念ながらさらなる疑問が生まれてしまいました。




『神崎岩』の用途は?

謎の洞窟群の正体は「石材の採掘坑」



つまり洞窟は、凝灰質泥岩の層に洞窟状の穴を設け石材を切り出しながら奥へ奥へと進んでいった、そんな江戸時代の遺構だったの。



当然その切り出した石材は何かに使われる。



その用途はいったい何?



というのが新たな疑問でございます。




で、その最も主要な答えがコレね。


浴徳泉の図(『茨城常盤公園攬勝図誌』松平俊雄 著

なんのこっちゃわからないかもしれませんが、コレは黄門様が作らせた『笠原水道』と呼ばれる上水道の水源地の絵図です。



画像が自前で用意できなかったのでWikipediaから写真を拝借してきました。石材はこんな感じに組み合わされて『岩樋』として使われたそうな。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%B0%B4%E9%81%93

これが地中に埋められて『暗渠水路』として水源地から水戸の城下まで綺麗な水を運んでいた。



なんと黄門様の時代(今から約350年以上前)から昭和7年(1932年)まで長きにわたって使われた笠原水道。



そう、つまり、



この絵図が描かれた昭和5年にはまだあの洞窟から採掘された岩からなる『笠原水道』が現役だったってこと



確かに拡大してみると、笠原水道の水源地は鳥瞰図にも描かれている。



水戸という地名でありながら水に恵まれなかった水戸藩の市街地に水を供給するという偉業を成し遂げた徳川光圀公と『笠原水道』



水道に用いられた石材の採掘坑と水道自体が両方とも絵図に盛り込まれているその意味は、黄門様の偉業を称えるためだったのでしょうね!



偕楽園周辺に連なる洞窟は、笠原水道建設のための石材採掘坑でした~!これにて一件落着~!











ほんとにそれでいいのか?











採掘坑が多すぎる問題。

偕楽園周辺に潜む謎の人工洞窟群は、上記のように『笠原水道』という民衆の生活を潤した偉業とともに語られることが多い。



僕は見ていなかったのですが、ブラタモリの水戸回でも水道と洞窟の両方が登場したようで。



あの洞窟は水道用石材の採掘坑だった!と結論付けたくなる気持ちもわかります。



ただ僕にはこんな疑問が浮かんだのです。



「水道建設がいかに難工事だったとしても、10個以上の採掘坑を必要とするか?」



水道の距離や手間を考えても、そこそこ奥深い採掘坑10個分の石材量は要らないだろう。そもそも建設開始時点ではどのくらいの量の石材が必要なのかなんてわかるはずがない。



なのに10個も採掘坑を設けるのか?同時に掘り進めるのか?



その謎を解き明かすのが今回の考察の主軸……!




「型式学」から見る洞窟群。

僕が学んでいる「考古学」では、『型式学』=「モノの形状等の比較からその関係や順序を探る方法」を良く使う。



同じ時代に同じ場所で同じような人が作ったモノが「ほぼ同じモノ」になる一方で、



人や場所や時代が違えば、同じ用途のモノを作っても「見た目から中身までほぼ同じモノ」はできない。



iPhoneなんかが分かりやすいでしょう。同じiPhoneでも、「iPhone5」と「iPhone8」は全然違うじゃないですか。



そんな感覚で再び洞窟に目を向けよう。



すると……


⓪南崖の洞窟

洞窟①

洞窟④

奥から洞窟⑥⑦

大きさや穴の形が少しずつ違うのがわかる……。



地図をエリアで区切ってみました。ここでエリアごとの洞窟形状の違いを述べていきましょう。




1.南崖の洞窟



南崖の洞窟はどうやら手前部分がコンクリートで固められているようで、本体である奥側は暗くてよくわかりません。



しかし、なんとなく台形状?に削られていることは推察できる。どうやら内部が崩落しているみたい。





2.エリア2(洞窟①)




洞窟①は『南崖の洞窟』と比べて非常に浅く、奥は台形状だが入り口がドーム型を呈す。



特に入り口側上部の整形がほかの洞窟には全く見られない独特なモノであり、円柱状の石材を切り出した痕跡か、または穴の入り口を支える柱をはめ込んでいたような跡に見える。



また、入り口及び内部のサイズが南崖の洞窟よりもかなり大きい。





3.エリア3(洞窟②~⑤)





洞窟の大きさがエリア内でもバラバラ。特に②③はかなり小さく、④⑤は天井高が成人男性2~3人分ほどであるなど相当なサイズを誇る。



繁みで十分な観測は不可能だったが、小さい②③はドーム状を呈している一方で、大きい④⑤は入り口から内部まで全体的に台形を呈す



採掘坑内部のノミ痕もこれまでの⓪~③がかなり荒いのに対し、特に⑤の壁面はかなり滑らかに削られている様子がうかがえる(後世の補修の可能性アリ)。





4.エリア4(洞窟⑥~⑨)


常磐線の線路敷地内で立ち入りができないエリア4。




このエリアでは、4つの穴がほぼ同じサイズで等間隔に並んでいることがわかる。



電車から内部を観察することは困難だったが、水戸市のHPを見る限りでは他のエリアの洞窟と比べて傾斜のキツイ台形状に成型されていることが分かった。



他の洞窟と比べてかなり奥まで続いている様子。さらに⑥と⑦は内部で接続しているという。ブラタモリ水戸編ではこれら4つが「笠原水道の石材採掘坑」として登場していた。



これら⑥~⑨(水戸市の番号では水戸駅側から1~4)の内部には「ヒカリモ」と呼ばれる発光する藻類の繁殖が確認されている。





【分析結果】


これらの分析の結果言えるのは、エリアによって洞窟(採掘坑)の造り方が全く異なるということ。エリア3のようにエリア内部でも洞窟の特徴が全然違うこともありました。



あたかも「すべての洞窟が笠原水道の石材のための採掘坑である」かのように言われがちなのですが、本当にそうでしょうか。



型式学の視点に立てばおそらくそれは間違いだと思うんだよね。



形が違うということは少なくとも「人」「場所」「時期」のいずれかは異なるわけ。



だから、同じような成型方法かつ等間隔に並ぶエリア4の採掘坑に関しては同じ時期に同じような人たちが掘ったものと思っていいはずだ。



採掘坑が同時期に造られたということは、「ある特定の時期の水戸で」「ある程度の量の石材を一気に必要とした」ということを示す。つまりエリア4は『笠原水道建設用の採掘坑群』?




では残りの3エリアは?





『神崎岩』の様々な用途。

ここで再び『南崖の洞窟』の解説看板を見てほしい。



どうやら『神崎岩』は笠原水道以外にもさまざまに使われていたみたいです。




看板に挙げられている以外では、「水戸城」があるようで。




水戸城の大手門の発掘調査では、日本最大級の瓦塀のほかに笠原水道同様の暗渠水路が見つかっている。門だけでなく御殿の跡からも神崎岩からなる排水遺構が見つかっているみたい。




笠原水道以外にも水戸城を中心に様々な場所で『神崎岩』が用いられているんだね。




したがって、同時性が保証できないエリア1~3の採掘坑は石材が必要になる度にその都度掘られたものではないかと推測できます。




江戸時代以外にも神崎岩は使われていて、例えば水戸市の著名な古墳・吉田古墳で使用されている石材は凝灰質泥岩=神崎岩。採掘地も今回洞窟を発見したあの崖のあたりであることが指摘されていて……。




江戸時代の採掘坑以前にも石材を切り出した歴史があるとすれば、笠原水道だけに注目するのは問題じゃないか?って。




僕はそう思います。





まとめ:水戸市の謎の洞窟は「採掘坑」だった!

水戸市偕楽園周辺に約10個存在する「謎の洞窟」




その正体は「笠原水道」やそれ以外にも江戸時代の水戸の各所で用いられた石材=『神崎岩』の採掘坑でした。




市民の生活を長年潤した笠原水道の功績はあまりにも大きく、採掘坑は時に笠原水道とセットでしか語られません。




しかし、採掘坑一つ一つについて分析をしていくと必ずしも10個すべてが同じ時期に同じ人の手で作られたわけではないことがわかる。



お城や水路やひいては古墳まで、ひっそりとさまざまに活用されてきた『神崎岩』。




常磐線から見えるあの謎の洞窟たちは、水戸の人々を陰ながら支えてきた『神崎岩』の存在を今の我々に伝えてくれるのです。



(コフンねこ)

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