最近、僕の地元には次々と巨大資本によるチェーン店が進出しています。
個人の飲食店も、おしゃれなお店やカフェがめっちゃ出てきている印象。
しかもこれからもっと増えそう。
決して人口が増えているわけではありません。
僕が小学生の頃10万人程度だった市の人口は徐々に落ち込み、あと10〜20年もすれば半分にまで減少するかもしれない。そんな感じ。
なのにいわゆる「都会的」なお店が続々と登場している。
コレって一体何なんだろう?
以前の僕はチェーン店進出というものが嫌いだった。
素朴な田舎の景観や経済圏をブッ壊し、ローカルの価値を均質化してしまうから。
今では少し考え方が違うのでちゃんと書いておこうと思います。また考えが変わったときの備忘録として。
都市的価値観から見る理想の"ローカル"
現在の経済のあり方は完全な資本主義から価値主義的な方向へとシフトしてきている(実態はともかく)。
ごく簡単に言うと、お金で換算できない「価値」を尊重する世の中になりつつあるってことだ。
これまでは「売れるもの」「儲けること」を考えればよかったけれど、これからは「良いモノ」を形成していかなければ評価されない・売れない。
こうした新たな価値観に対しては若干懐疑的な人もいる、100%正しいかどうかは継続的に検討する必要がある。僕も全て賛成しているわけではない。
なにはともあれ、この価値主義というものは「地方」「地域」「ローカル」とめちゃめちゃ相性が良い。
早い話、都市にはないローカルの「良さ」がお金に換算できない価値として認められることが往々にしてあるということだ。
都市にはないもの―独特の景観や特産品、個性あふれる人・モノ―を有する、理想の風景、都会の喧騒から逃れられる場所。ローカルに求められる価値とはこういうものになる。
例えば料亭に卸す「もみじの葉」を採取するという地方でしか成しえないビジネスモデルはめちゃくちゃウケているし、能登の棚田にはアクセスが悪いのにも関わらずたくさんの人が訪れる。
上記のような超ローカル的景観でなくとも、例えば新幹線が開業した金沢は元々あった歴史的景観と日本海の幸を活かして都会から多くの人を引き寄せている。
このように都会から多くの人を呼ぶには『ローカルの持つ個性』を新たな価値として再構築して売り出すことが重要とされつつある。利益だけを追求した結果ではなく、「良さ」を実現する。
したがって地域発展の一つの道として、"「都会にはない要素」を再発見or創出し、理想的なローカルに成る"ということが挙げられるのだ。
ローカルの価値観から見る"理想の土地"
地域に眠る独自の価値を再発見or創出することはさらに地域自体の価値を高め、そこに住む人々の郷土愛を高める。
今の世の中では、そうした価値や郷土愛が一度都会にはない面白いモノと認められるだけで段々と観光客数・ホテル数・移住者数・お金といったような具体的な数字で示されるようになる。
数字がポジティブな結果として表出すれば、さらなる地域発展が期待されるだろう。
ただし現実は少々異なる。独自の価値を求めることだけが地域発展ではないからだ。
ローカルに住まう人々も同様に「ないモノ」を求めている。
地域に住む人々だって利便性や効率が欲しい。八百屋さん、肉屋さん、魚屋さんを転々とすることなく一気に買い物したい。都会の人々と同じ服を着たい、同じものを食べたい。
さらには、連日TVやネットで得られる情報、確かにTVやネットそのものは全国区だけれども、その中心地はあくまで「都市」。
そんな状況であるから、都会を羨望する気持ちは、地方に住む人々、特に若者を中心に普遍的に存在する。
地域とは観光地や理想的なローカルというだけではなく、生活の場だ。求めるモノは都会にあって我々の場所にないモノである。
この「都会を求めるマインド」がかなり最初の方に述べた"巨大資本の参入"を促す。
都市のスタイルをそのまま持ってきても受け入れられない場合は少なくない。しかし、都市を渇望する人々を地域に繋ぎ止めておくためには、「都市的な利便性や効率性、流行」が必要だ。
僕の地元にできたスタバはいつも混雑しているし、チェーンの回転寿司なんかは1時間待ちが当たり前。便利だし、ある程度のクオリティが保証されている。
地域発展のもう一つの道はここにある。"都市的な利便性・流行を受け入れ、地域に住む人々の需要に応える"。これを怠ると人々の都市への流出が加速し、過疎化や少子高齢化が進展してしまうのである。
結論:『地域発展』はどうあるべきか?
ここまで「地域発展」について都市とローカルの2つの価値観から見てきた。
"「都会にはない要素」を再発見or創出し、理想的なローカルに成る"ことと"都市的な利便性・流行を受け入れ、地域に住む人々の需要に応える"こと。
あくまで僕の考えではあるが、地域発展という言葉にはこの2つの道が内包されているように思う。
一見相対するように見えるこの2つの道。牧歌的理想的なローカルと都会的で便利な生活というそれぞれの追求の先には対立しかないのだろうか。
意外とそうでもないんじゃないか。
地域の歴史・文化・景観・食・自然・産業・科学を大切に守りつつ、便利な生活を実現する。
かつては上記のようなローカル独自の価値を高め守ることは利益に繋がらなかった。お金を求めること以外ではお金が得られなかった。
しかし今は価値主義的な考え方が広まりつつある。守っても何も生まなかったモノが新たな資源・価値として認められ、結果として数字に顕れる。
そうして得られた利益は、インフラや農工商業など生活の質を高めるためにも使われる。
というか「地域の歴史・文化・景観・食・自然・産業・科学」ってそもそも生活の一部だ。
したがって全く違う価値観の地域発展の論理や道筋も根本では一緒。
実現される形がちょっとずつ違うけど、結局は地域に住む人々に還元されるように進む。
現実はそんなにうまくいかないかもしれない。言葉ではどうとでも言える。
それでも「言葉」にできたことは大きいのではないか。僕や地域にかかわる人々の中で何となく抱いていたモヤモヤが一つの論理として形を得た。
僕はこれからも、日本のあらゆる地域が発展することを望みます。
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