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「大学は地方にこそあるべきだ」―地方大学削減の危機に際して

執筆者の写真: コフンねこコフンねこ

『ここに若者がいるのは盆と正月くらいやなぁ。』


愛媛県南予地方宇和島市での生活に憧れを抱き、老後に大阪から宇和島に引っ越してきた歴史案内ボランティアのAさんはそう言う。


かつて幕末維新の原動力の一翼を担った地である宇和島。

明治維新の立役者の一人、最後の宇和島藩主・伊達宗城。

そこには「大学」がありません。


『頭良い学校はあるんやけど、みんな市外に出てしまうねん。大学がないから。』


さらに宇和島は、高速道路のインターチェンジが市内の幹線道路に接続しておらず鉄道によるアクセスもそれほど便利とは言い難い。


現状大きい街だが少し寂しげな宇和島の街並み。

一方同じ愛媛県内でも、大学を要する松山市は四国島内だけでなく全国でも有数の規模を誇る地方都市だ。


松山城から見た松山の街。すげえ。

松山城の天守、立派だ。日本最新の現存天守である。

無論大学の有無だけで比較できるものではない。


しかし、『大学が無い』ことが小さな天守と美味しい鯛めしと各種偉人を輩出したことが自慢の宇和島の人口減少に拍車をかけていることは事実かと思われます。


宇和島の鯛めし。炊き込みご飯ではなく生の刺身をご飯に乗せるタイプ。

「都市に大学が集中し、大学のない地方は置いて行かれる……」


それは、過疎化・少子高齢化・人口減少など地方の衰退の原因の一部であると考えられるのです。


そのうえ日本の研究・教育体制は縮小化の未来をたどっているっぽい。



これはヤバイ。地方大学削減の危機。


『大学がないこと』を原因の一部とする「過疎化」「少子高齢化」が今度は大学を減らすロジックとして使われているのでしょう。


以下では「大学は地方にこそあるべきだ」と僕が考える理由について簡単にまとめてみました。


①地域経済の活性化

「大学の存在」、それは否が応でもあらゆる場所から若者を引き寄せる。


例えば僕は山形→大阪という引っ越しをしていますし、例えば福岡→群馬や大阪→茨城もさして珍しいことではありません。


僕の通う阪大から見た夕焼け。ここにも多くの地方出身者が。

また近隣の都道府県から通学してくる方も大勢いるわけで。


大学近辺はそこで一人暮らしをする人、そこに通う人でいっぱいになるんだよね。


だから例えば大阪大学で言えば「石橋」、京都大学で言えば「百万遍」といった具合に学生街が出来上がる。

こんな協議がなされるくらい、大学と学生街は密接な関係を持つ。

これは地方も同様で、学生街やその周辺の繁華街、街と言えるほどお店がなくても大学近辺の飲食店やスーパーは大いに栄えます。


消費だけじゃなくてアルバイトという形態で地域の人々が労働者の確保もできるし、さらに言えば大学卒業後その地方に就職する人も多いだろう。


「経済の活性化」っていう仰々しいことは正直全然経済に詳しくないので言えないけれど、実際若者が多いってことは良い事


例えば地方の高齢者が苦戦する除雪を当地の大学生が手助けしたり、学生団体やサークルを立ち上げて大学周辺の街を盛り上げようと企画してみたり。



「学生」という立場を利用した様々なやり方で街や人を支えている例は枚挙に暇がない。


どれもこれも、その地に大学があれば生じる「メリット」だ。


予め発展していて大学を複数抱えている都市よりも、大学が少ないor無い地方のほうがそのメリットの恩恵を受けやすいように思われます。


若年層の人口が少ない地域に若者が大勢やってきたらそりゃ盛り上がるよねって感じです。


大学の存在によって地方を盛り上げられるという側面がある、と言えるでしょう。


②研究の場として良好な場合も

大学は単に学生の集う教育機関ではなく、日本の将来の発展を進める【研究機関】でもある。


この点って結構忘れられがちだ。


大学の予算が減らされることが何故危険かというと、研究が十分にできなくなるから。


そこにお金を割き、学生間、大学間で競争を産んだ中国の近年の目覚ましい発展を見ればわかる通り、大学の研究は国にとっても人にとっても非常に大事なものです。


で、実際そういった研究予算は大都市の大学を中心に割り振られている。企業から大学に研究依頼等の形で振り分けられるお金も都市の大学のほうが多額だ。


早稲田大学はそんな大都市の大学の一つ。

たしかにお金や設備の面では既に多くの良いものを抱えている都市の大学に対して、地方の大学は劣ると言わざるを得ない。


ただ、こんな見方もできます。


まず、地方には都市と比べて広い土地がある。


地方国立大の一つ、新潟大学五十嵐キャンパス。広すぎてハイキングできる。

充分なスペースがあるほうが理系であっても文系であっても研究しやすいことは間違いない。


特に大きな実験用機材を必要とする理系学部や、多数の動植物を管理する必要のある農学部等にとって広い空間の確保は死活問題です。


馬も飼育されている新潟大学。こっち見るな。

大都市の大学でさえ地方の僻地に研究所やサテライトキャンパス的な施設を抱えているくらいだから、様々な空間的制限を受ける都市よりもやりやすい面があるんだろう。


そして、開発されきっていない山林原野や、その土地の地理的特徴など、都市の街の中では実際に観測することが難しい要素が地方にはたくさんあるんだ。


もちろん、社会学や心理学や歴史学など資料の母数を必要とする学問においては地方大学は不利かもしれない。無論、都市のほうが人とものが多いわけですから。


手放しに礼賛できるわけではないけれども、概ね地方に大学があったほうが研究に没頭しやすいんじゃないかなって個人的には思います。


まとめ―地方には大学が必要!

最初に述べたとおり、今の日本では教育・研究が縮小して行く傾向にある。


しかもその背景には『大学が無い』地域で起こりがちな「過疎化」「人口減少」「少子高齢化」があるんです。


もちろん、設備や予算や人員や学生数を集めやすく世界と戦っていくに充分な規模を持つ都市部の大学は絶対に残すべきで、死守しなければならない本当に最低限のラインです。


でも、もし地方の大学が統廃合で削減されようもんなら、冒頭に述べた宇和島のように段々と若者が減っていく地域が多数現れることになる。


ひっそり佇む宇和島城の天守。

全国に寂しい街が増えるってことには耐えられません。


むしろ「今ある地方の大学は維持」し、都市の大学の別キャンパスとかそういった形でもいいから「新たな大学を地方に作る」ほうが日本の将来を見据えた良い選択じゃないでしょうか。


しかも研究分野によっては都市よりも地方の環境のほうが良いってこともあります。


誰が何と言おうと宇和島には新幹線が来る。これは新幹線。

少子高齢社会に「なってしまった」日本では、「地方にもっと大学を!」という僕の提案は現実的ではないのだろう。


都市と地方ってのは表裏一体一長一短なところがありまして、そのへんを教育や研究においてもうまく活用していかなきゃならんのです。


だからこそ、この想いが誰かに届いて教育や研究の縮小(特に地方で顕著)に歯止めがかかってくれたらいいかなと思ってます!

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