どうも、コフるねこです。
香川県西部の小さな街・琴平町には日本を代表する神社の一つがあります。
「金刀比羅宮」と表記するんだけど、こんぴらさんって呼んだほうがわかりやすいかも。
その特徴はとんでもない石段。

遠目から見ると像の頭に見えるということからその名がついた「象頭山」。その上に位置するこんぴらさんの本宮までには「785段」におよぶとんでもない石段を登らねばなりません。
自然豊かな参詣道、森の湿気で濡れる石段。

なんと「行きはよいよい帰りはこわい」の典型的パターンに苛まれることもある・・・。
そんな金刀比羅宮、山間の地に所在しつつ実は『海上交通の神』を祀っているんです。
どうしてこの地に・・・?早速研究開始!
①瀬戸内海と金刀比羅宮
四国にあって海上交通の神というからには瀬戸内海と関係があるに違いない。
じゃあ瀬戸内海がどんな海なの?っていうと・・・
実は航行には不向きな「潮流が激しく浅い海」なんだよね。

瀬戸内海には小島が多いんだけど、実はこの小島が潮の流れをうまく遮ってしまうせいでどうしても流れは速くなってしまうんです。
最たる例が鳴門の渦潮。
そしてなんと瀬戸内海の形成ってのは意外と遅くて、1万年前くらいまでは完全な陸地だったとのこと。縄文前期の終わり頃、約6000年前にようやく現在の姿になった。
それ以降ずっと日本の中心・関西と九州や大陸を結ぶ非常に重要な航路だった瀬戸内海。でも実はすごく危険でもあった……。
そりゃ海上交通の神様が欲しくなるわって感じ。
しかし、その肝心の神様が海からそこそこ離れた山の中腹にいらっしゃるというのはいかがなものか?
一説には象頭山(金刀比羅宮のある山)を航行の目印(日和見山)として使っていたらしい。だから神様を祀るようになったのだとか。
でもこの説には問題がある。
丸亀市と坂出市の間にそびえたつ飯野山(=通称・讃岐富士)のほうが象頭山よりも海に近くて形も綺麗だから、古代の人だって航行の際はそっちを目印に使うはずだ。

現地に行くとわかるけど、天気の悪い日は琴平の山から瀬戸内海を望むことはできません。
したがって「航行の目印」にはしにくいのではないか?というのが僕の考えです。
②「琴平」「象頭山」と山岳信仰
「琴平」という地名の起源についての有力な説の中にこんなものがあります。
「山に生えた松が風にたなびく音…これが琴の音色に似ている」
だから『琴平』になったんだって。
琴という楽器は日本でも縄文時代から存在する楽器。

「こと」という呼び名がいつ定着したかは定かではないらしいんだけど、奈良時代には「こと」に関わる記述が史料に出てくる。
上記の説が正しいとすれば、『琴平』という地名はおそらく奈良時代くらいからのモノだと言えそうです。
『象頭山』は後述するインドとの関係からきているのだろうと考えてます。

象の頭に似ているから象頭山。

讃岐富士ほどではないにせよ、特異な形状。名前が付く以前から注目を集めていただろうなと。
憶測でしかないんだけど、一応ここで僕の考えを述べる。
琴平は「土器川」という川やその支流の流域に位置していて、その名からもわかるように土器生産が盛んだった(=集落がたくさんあった)ということは言える。

瀬戸内の日照りの多い平野に住む人々にとって川の水は命。流域にはたくさんの人が住んでいて、たくさんの人がその川の行きつく先にそびえ立つ変な形の山を見てその美しい風の音を聞いていた…。
「命の水が流れる川の上流に所在する、美しい風音と独特な形状の山に対する信仰(=山岳信仰)が生まれた」としても不思議ではない。
この古代の段階では琴平の地と海には関係などなかっただろうと考えてます。
③奇跡の一致「宮比羅(クンビーラ)」と「琴平」
琴平信仰は平安時代にその姿を変えていく。
象頭山に「松尾寺」というお寺が創建された……そしてこのお寺で祀られていたのは十二神将の一人でもある「宮比羅(くびら)」。
奈良の興福寺の十二神将像の中にもその姿を見ることができる宮比羅。
その正体はヒンドゥー教の神「クンビーラ」なんです。

ガンジス川に住むワニを神格化したいわば「水の神様」。爬虫類だ…!
そんな爬虫類の水の神様が仏教に取り入れられて「宮比羅」になった。

そして「琴平」と「宮比羅」…言葉の響きの奇跡の一致!?
琴平という地名が先述の通り「風音が琴の音色に似ていた」ことからきているとすれば、琴平で宮比羅を信仰しはじめた理由としてはこの「言葉の響きの一致」以外あまり考えにくいんじゃないかなーって思う。
ここですべてが出そった。
・瀬戸内海の潮流が激しく、海上交通の神を欲していた
・美しい風音と山体、そして川の上流ということから山岳信仰が生まれた
・「琴平」という地名と水の神「宮比羅」の奇跡の一致
この3つの要素が重なって「金毘羅大権現」が誕生したのではないか?

というのが僕の検証の結果です。
金毘羅大権現の誕生は史料によると11世紀初頭のこととされていて、このころには「神仏習合」が盛んだった。
だから琴平の在地の神様がインドの仏教の神様と交わっても全くおかしくはなかった。
むしろ明治に神仏分離をやるまでは「金刀比羅宮」=「象頭山松尾寺金光院」だったくらい。
ちなみに、今の金刀比羅宮の神様は「大物主神」ということになってます。
日本にはワニなんか当然いなかったので蛇の姿で宮比羅を描くことが多かったんだけど、それゆえ蛇の姿を持つ大物主神と結びついたみたい。
でも、日本の神話「日本書紀・古事記」を読む限りでは蛇の姿を持つ大物主神に海上交通をつかさどるとかそんな性質はないし、ましてや大物主神は琴平じゃなくて山陰出雲の神様。
つまり琴平にもともといた山岳信仰の神様≠大物主神で、さらにどっちも海にかかわるような神様じゃなかったはず。


やっぱり琴平の神も大物主神も、水の仏神・宮比羅と同一視されて「金毘羅大権現」になってはじめて海上交通や水運の神になったと言えるんじゃあないでしょうか。
ほかにも書きたいこといっぱいあるんだけど、この辺にしておきます。
あくまで「コフるねこの推測」だから、間違っていたら教えてください!
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