三重県伊勢市といえば、豊受大神宮(外宮)と皇大神宮(内宮)からなる伊勢神宮で有名。

年間800万人以上の参拝者が訪れる伊勢神宮に比べ、年間参拝者数が200万人弱である二見興玉神社は正直陰が薄い存在に感じてしまいます。200万人ってすごいのに。

でもホントは伊勢の正しい参拝順序に倣えば800万人が二見興玉神社に行かなきゃいけないんだよね。
仮に参拝順序とか知らなくても、その自然の美しさや信仰のあり方を知ればアナタも行きたくなるはず。
そんなワケで今回は『二見興玉神社』の信仰や伊勢神宮との関わり、そして名物・夫婦岩と海中に沈む興玉神石の謎について徹底検証してみたよ!
二見興玉神社は『最初』に行くべき!?
さっきも述べたとおり伊勢神宮に行く人ってのはホントに多い。
でもその中で正しい参拝順序を知ってる人ってどれだけいるんだろう?
(もちろん知っていなくても信心深ければ良いと思う、一番良くないのは軽い気持ちで来ることじゃないでしょうか……。)
基本的には外宮→内宮の順で参拝しなきゃいけないことになってます。内宮の神様(日本の神様で1番偉い)に食の奉仕を行う神様が外宮にいらっしゃるので。

就活の面接とかでいきなり社長のとこ行く人いないじゃないですか(この例えが適切かどうかはともかく)。
とにかく外宮→内宮の順番は守らねばならないとして、じゃあ二見興玉神社は?
実は「最初」。
現代でも沖ノ島参拝の際など上陸の前に海で体を清めるということをする。同じように、昔は伊勢参拝の前にも海で体を清めてたんだ。
その海というのがちょうど二見興玉神社のある「二見浦」だったんだよね。

「禊」。その中でも「垢離(こり)」と呼ばれるタイプの清め方。
禊というとテレビの影響で罰ゲームみたいな印象があるけど、元は「心身を清める儀式」のこと。
残念ながら現代では「海の水で体を清める」ことは容易ではありません。夏以外の海水は冷たいし、禊とはいえ裸で水浴びをしていたら通報されてもおかしくない。世知辛い。
その代わり、二見興玉神社に参拝することが「禊」になるんです。
神宮参拝の前に二見興玉神社を訪れ心身を清めるこの新たな禊様式を「浜参宮」と言います。
ただし正式な「浜参宮」は二見興玉大社でお祓いを受けることを指すので、ちゃんと清めたい方は神社にお金を納めて無垢塩草によるお祓いを受けましょう。
とにかく伊勢にやってきたらまず行くべきは二見興玉神社。
ガイドブックや近鉄のサイトですら「伊勢神宮の後には二見興玉神社の夫婦岩を見に行きましょう!」とか書いてますが無視してください。

神宮参拝の前に二見興玉神社で心身を清めよう!ってのが昔から正しいとされてたみたい。
名物・夫婦岩と海に沈む興玉神石。
二見興玉神社と言えば良縁・円満のご利益があるとかいわれている「夫婦岩」が一番有名です。

年間200万人もの人が伊勢湾の青い海に佇む大小二つの巨石を拝みにやって来るのだからそのパワーは計り知れないよね。
ただし夫婦岩の本来の役割は全然違うものでございまして、元々は信仰の対象ですらなかった。
じゃあ何だったの?
その答えが神社の名前「二見興玉神社」の『興玉』に込められている。昔も今も二見興玉神社のご神体は『興玉神石』と呼ばれる伊勢湾沖の岩。
夫婦岩はもともと「立岩」と呼ばれていて、その『興玉神石』を信仰するための鳥居・岩門のようなモノだったんです。
しかしながら、まだ夫婦岩が「立岩」だった江戸時代の宝暦年間、太平洋沿岸を襲う大地震&大津波が発生。

実はその際、興玉神石は海に沈んでしまったんだ。
こうしたことから、立岩は徐々に鳥居としての任を降りることになる。大小二つ並ぶ岩が夫婦に例えられ、二つの巨石の間にしめ縄が結ばれたのはその頃のことなんだよね。
だから夫婦岩に対する信仰というものは伊勢の長い歴史から見れば比較的最近に発生したもの。良縁や円満に対するご利益も当初は存在すらしていなかった。
でもよく考えてみてほしい。
『海岸に近い大小2つの巨岩』というインパクト絶大のモニュメントよりも、その2つの岩の間から見えるか見えないかわからないような沖合の岩が信仰されていた……。
これってものすごく不自然に思えませんか?
太陽が伝えてくれる、興玉神石と夫婦岩の正体。
二見興玉神社を訪れるとこんなポスターを何枚も見かけることになるでしょう。

夫婦岩の間から見える日の出。
その光が海を赤く照らすその甘美な光景は、多くの人に「日本人であるからには一生に一度は見てみたい」と思わせるほど。
この光景は5~7月、夏至の前後に特有のモノ。
夏至というのは「太陽が真東から昇る日」です。
太陽が1年で最も高くなる夏至前後の時期は、稲がグングン成長する時期でもある。
そんな夏至の太陽と同様、夫婦岩の間真東の方向に存在するもの……他でもない二見興玉神社のご神体「興玉神石」だ。。。

興玉神石は既に述べたとおり海に沈んでしまっている。
しかし、神石がまだ海水面から顔を出していた頃、夏至の太陽はその岩陰から昇ってくるように見えたことだろう。
「興玉神石は夏至の太陽が生まれる場所として象徴化されていた」
そう考えると、日の出の「玉」のように見える太陽が「興る」場所=興玉?なんじゃないかなとか思えてきます。残念ながらそれが確認できる資料はないのだけれど。
現代の感覚では確かに沖合にあって姿の見えない謎の存在である興玉神石をご神体としていることに一抹の違和感があるのも事実ですよね。
しかし、興玉神石は夏至の太陽が生まれる場所とみなされていたわけで。太陽信仰の点から見てとても神聖な場所と言えるんだ。
夫婦岩という鳥居から興玉神石を拝むこと、それはすなわち興玉神石を介して神聖な夏至の太陽を拝んでいることになるのではないでしょうか。
まとめ:どうして二見興玉神社に行かなきゃいけないの?
二見興玉神社においては、夫婦岩という自然美が余りにも有名であるためにその本来の姿・目的が見えにくくなっているというのが現状です。
本来夫婦岩というものはその2つの巨岩の間ちょうど真東に存在する興玉神石を信奉するための鳥居にすぎない。
興玉神石がちょうど夫婦岩の真東の沖合に存在するというのがポイント。海に沈む以前は、神石の岩陰からちょうど夏至の太陽が昇ってくる姿を目撃することができたのでしょう。
つまり、ご神体である興玉神石は夏至の太陽に擬えられていたことになる。
なぜ伊勢神宮参拝の前に二見興玉神社で「浜参宮」という禊を済まさなければならないのか?
伊勢神宮の祭神である「天照大御神」はその名が示すとおり【太陽の神様】。

そんな伊勢の地域にあって最も美しく太陽が見られる場所、それは夏至の時期の二見興玉神社に違いない。
だから二見興玉神社を擁する二見浦一体が「禊の地」として選ばれたのではないだろうかと推測することができるのです。
(この推測の確かさを証明するには、伊勢に太陽信仰が勃興した時期―古墳時代以前まで遡る必要があるんだけど、残念ながらその頃の日本に文字記録なんて存在していない……。悔しい限りである。)
JR参宮線二見浦駅から徒歩15分、または鳥羽駅から三重交通の路線バスも出ています。兎にも角にも、伊勢神宮参拝の前には二見興玉神社へ。

できれば、夏至の朝早くに。
お読みいただきありがとうございました。
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