
(お話を頂いた時は一本の記事だったのになあ。3部作は書きすぎなのよ。)
寝れる!巨大アート
「迷路のまち」を心ゆくまで堪能して、時計は12時を回ったころ。
昼食前に、もう一つ行ってみたかった場所へと車を走らせた。
それは、一面に広がる棚田の中心にある。千枚田の広がる中山のあたりは、江戸時代中期に始まったとされる中山農村歌舞伎でも有名。
車を降りると、子どもたちが和太鼓を練習する音が遠くから聞こえてきた。
にぎやかな雰囲気を楽しみながら一本道を歩いていると、突然のご対面。

でけえな。
砂の城のようだ、というのがひと目見た感想だった(NARUTOの砂隠れの里にこういう建造物ありそう)。繭のようにも、複数の目を持つ心優しき化物のようにも見える。
棚田に沿って下へと降りていく。小川のせせらぎが心地良い。

それにしても不思議な形をしている。
遠目には分からなかったがこの巨大作品、全て竹を編み込んで造られていた。まるで揺り籠だ。
絶対涼しいやつじゃん、これ。

めっちゃ涼しい。

すごい。横からだけじゃなく、上からも下からも風くる。この内部だけ、気温が5度くらい低い気がする。
ずっとここにいたい。
理想を言うと、家から30分のところにこれがあってほしい。週3で行くから。
『小豆島の恋』は、地元では誰もが知っている「オリーブの唄」という歌をテーマにしているのだという。少女の抱く恋人への気持ちと小豆島の情景を重ねて歌い上げた曲だ。
「いつかあなたとあの丘で
姿やさしいオリーブの
銀の葉かげに頬よせて
ああ こぼれ咲きこぼれ散る
白い花びら数えたね」
『小豆島の恋』というタイトルには、この空間で誰かと共有された記憶も、そのように人々の心の中に残り続けて欲しいという願いが込められているのだという。
同行者は、あまりの癒やしに船を漕いでいた。
きっと、小豆島のことを思い出すたびに、この竹に包まれた楽園と、その中で眠っていた同行者たちのことも思い出すのだろうなと思う。
食が強すぎる小豆島
はい。待ちに待った昼食の時間です。
やってきたのは、”こまめ食堂”さん。
『小豆島の恋』からめっちゃ近い。
この中山の辺りは、先程の写真からも分かるように棚田の広がる山間部なのだが、そこを貫く一本道に面した趣のある家屋が、こまめ食堂だ。元々は、昭和初期の精米所だったそう。
小豆島の旬な食材を心ゆくまで堪能するなら間違いなくここである。
ちなみにこちら、超人気のお店なのでお昼時にはだいたい整理券を配布している。私も、『小豆島の夢』に行く前に受付を済ませ、整理券をもらっていた。
「40分後くらいにお呼びできると思います」
と言われたため、30分ほど時間をかけて竹の最高空間でゆっくりくつろいでいたわけである。
小豆島は手延べ素麺も名産品なので、「そうめんセット」と散々悩んだ。それでも、「棚田で作った米で握っています」という言葉に惹かれて、「棚田のおにぎり定食」を注文。

すごい!
海と山の幸じゃん。めちゃめちゃ美味しそう。
運ばれてきた時におばちゃんが、それぞれのメニューの説明をしてくれる。
「もともと別の魚だったんだけど、切らしちゃったから鯛なのよ。私は鯛の方が好きだけどねえ」
と言われて恋に落ちそうになった。
鯛一尾をまるまる素揚げしたメインディッシュは、こだわりの二度揚げ。
「あー! 鯛だ! いま鯛食ってるわ!」という満足感をしっかりと与えてくれる。
食べきってしまうのがただただ惜しかった。かき揚げは、桜えびと玉ねぎと枝豆。程よい塩気に飽きが来ない。
「こちらを掛けてお召し上がりくださいね」
と運ばれてくるのは、 ヤマロク醤油さんのポン酢。ここ小豆島は西日本随一の醤油の名産地なのだが、特に「創業150年くらい(HP参照)」の歴史を持つヤマロク醤油さんの商品は、お土産コーナーではよく目にした。
(以前にOur Localでも、ヤマロク醤油さんに関する記事が上がっているので、良かったらこちらも読んでみて欲しい。時間があったら絶対醤油蔵見学行きたかった)
少し話がそれたが、なんといってもおにぎり!
最高だった。
めちゃめちゃ美味しい。
なんだこれは、本当に私の知っているおにぎりか?
「お米そのものの美味さもあると思うけど、絶対炊き方もこだわりまくってるやつだ!」という味がする。
それにしても絶妙な握り具合。弟子入りしたい。
そして左奥の汁物には、初めて見る食材が。

ふし麺。
手延べそうめんを作る時には、生地を棒で伸ばしたあと吊るして乾燥させるのだが、その際、棒に接している部分はどうしても曲がってしまう。
その曲がってしまった部分はそうめんにはなれないから乾燥後に切り離すことになる。そうしてできるのが、このふし麺だ。
珍しい食材に目がないので、なんかめちゃめちゃテンション上がった。
それに、美味い!
そうめんがあの歯ごたえの良さをそのままにマカロニサイズになりました(例えが下手すぎる)という感じで、とにかく存在感がすごい。
スープのんでると「いる」。めっちゃ「ここにおるぞ」を主張してくる。それでいて、元はそうめんなので喉越しはツルッとしている。とっても面白い。
気がつくと一時間弱ほど経っていた。久々に食事にきちんと時間をかけたな〜と嬉しくなる。
また小豆島に行くことになったら、絶対に”こまめ食堂”は外さないなと思う。
三都半島ぐるぐるターーイム!
時計は15時を回っていた。
帰りの船便が18時ごろだったので、残りの時間は思う存分芸術作品に触れよう、ということになった。
一路、三都半島へ。
道沿いに芸術作品が点在する三都半島、めちゃめちゃアツい。

いいね〜〜〜〜!!!!
海+山+謎建造物は最高だということがよく分かる。

海と山の間に突如として広がるこの人工的な空き地は、海と山の境界とも位置づけられる。
それに、このまま歩き続ければそのまま海へ飛び込んでしまえそうなほど、空き地と海の間には妨げるものが何一つない。
さらに、鳥居の上に彫られ再現されたもう一つの小さな『境界線の庭』。
明らかに「俯瞰して見てください」と言われている。私は最初、「雨水溜まったら面白そうだな」と考えてしまったのだが、なんか申し訳ない。

一枚目の画像から見て取れるように、鳥居はかがめば潜ることができるようになっている。
鳥居を潜る前の空間と、潜った後の空間。
その境界線は、いったい何と何を隔てているものなのか。
考えると面白い。
さらに車を走らせる。

この作品を見てぞっとするのはきっと私だけではないだろう。何か、根源的な恐怖がある。
三都半島には、古い空き家の内部を丸ごと芸術として提示する作品が多いのだが、この『海辺のクォーツ』もその一つだ。
クォーツとは、クォーツ時計のそれである。
古い空き家で、かつて流れていた時間、止まってしまった時間の中に、現代を生きる私たちが入っていく。
空き家へと踏み入るときのあの独特な緊張感や、ほんのりとした不安はきっと、そういった「かつて存在したもの」への畏怖からくるものでもあるだろう。

古着を糸にまで分解して、それらを再構築する。そうすることによって、残された物から過去の生活を垣間見るという行為が、「えぐい」ほどに強調される。
隣の部屋では、タイマーとセンサーが無数に繋がれた家電がオンとオフを繰り返していた。
主のいない部屋でかつての生活をそのまま繰り返しているような、何か見てはいけないものを見ているような、そんな心地にさせられた。

続いてやって来た空き家。
森があった。
柱に木が生えている。
いや、木が彫られているのだ。

木を用いて木を彫刻する。私たちは加工された自然の中に、自然への憧れを見出す。これらの彫刻群は、そんな私たちの姿を静かに見つめているようだった。

木を用いて作られた机から生い茂る木々。いずれ、机全体を覆い尽くしてしまうのだろう。
なんともぞくぞくする。

インパクトの強い作品が続く。『潮耳荘』は、蓑虫のようなドームから巨大なホルンが飛び出しているという、奇抜な建造物だ。海を望み、海に恋い焦がれるように佇んでいる。

それにしてもすごい。絶対造るの楽しかったと思う。「一本くらい抜けないかな」、と思ったが、当然のように頑丈だった。

巨大なホルンは、じっと海の音を聴いている。
耳を近づけて、というより頭を突っ込んで聴いてみると、確かに潮騒がはっきりと感じられる。小豆島中に響いている鼓動を聴いているような気にもなってくる。
小豆島にしても直島にしても、流れている時間が、普段私が過ごしているものとはどこか違うような気がしたから。

海の声も聴いたら山の声も聴こう。ということで、最後にやってきたのは『山声洞』。
魚のような、潜水艦のような形をしている。よく見ると耳のようなものが山に向かって伸びている。

降りると、そこにはコンクリート造りの殺風景な空間が広がっている。『山声洞』の耳を通じて、私たちも山の声を聴くことができる。
かつて、この三都半島の先端地域には採掘場があり、砥石工場で働く労働者や石を運搬する船主で栄えていたそうだ。
砥石業者が撤退してからは急速に過疎化が進み、それと同時に再び木々が生い茂り始めた。
この場所は、町が栄え衰退していく歴史の変遷と、自然の回復力を象徴しているとも言える。

時計を見ると17時を過ぎていた。もうそろそろ坂手港まで戻らなければいけない。後ろ髪を引かれる思いで、私たちは海沿いの道をゆっくりと戻っていった。
実はもっと色々と見て回っているのだが、全ては紹介できそうにない。
三都半島に点在する芸術作品はどれも興味深く考えさせられるものが多かったので、是非とも訪ねてみてほしい。
またいつか……
バタバタとジャンボフェリーへ乗り込むと、小豆島の姿がどんどん小さくなっていった。
ついには、ぼうっと影がかろうじて見えるほどに。
一泊二日という短い時間だったが、だからこそ密度の濃い、それでいて瀬戸内海全体に流れる静かな時間をこれ以上ないほど満喫できたのではないかと思う。
そうは言っても、また近い内に訪れたくなるのは間違いない。
そんな予感は帰りの船の中で既にあった。
そして実際この旅行から帰ってきてすぐ、気がついたら3ヶ月後に再訪の計画が立っていた。

これは人から聞いただけで裏付けが取れているわけではないため、それを承知で読んでほしい。
高松空港で降りる人に滞在目的を聞くと、会期中はやはり「瀬戸芸」と答える人が一定数いるそうだ。ここまではある意味当然なのだが、面白いのはここからだ。
今度は、高松空港で飛行機に乗る人に感想を求めると「芸術祭が良かった」という声以上に、「食べ物が美味しかった」「地元の人が優しかった」という声が圧倒的に増えるのだという。
瀬戸芸はそれ自体も素晴らしい。
しかし、その最も優れた点は、上手く地域を巻き込んで、来訪客に瀬戸内海の島々そのものの魅力を発見してもらうための、これ以上ない窓口になっていることなのだ。
私も、訪れて2ヶ月以上経った今でも「ご飯美味しかったなー!」と思い出すし、直島にしろ小豆島にしろ、出会った地元の方々は皆とても温かかった。
一度訪れると、すぐにでも再訪したくなるのは、きっと私だけではないはずだ。
ぜひ一度、瀬戸内海の島々の魅力を全身で体感してみてほしい。
おまけ

船内の乳幼児室から本物の力士出てきたな、とめちゃめちゃウケちゃった写真。
なんなんだよこの存在感はよ。ありがとうございました。
終わりでーーーーす!
もう一回読んどく?
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