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【日本酒好き必見!】大阪最北の酒蔵、能勢町・『秋鹿酒造』のルーツを探る【農醸一貫】

  • 執筆者の写真: コフンねこ
    コフンねこ
  • 2018年12月14日
  • 読了時間: 4分

「大阪府の最北ってどこ??」


と言われて答えられる人、絶対少ない。


wikipediaより

このピョンと飛び出た謎の町、これが大阪最北の市町村こと「能勢町」だ。


町域のほとんどが山林原野or農地で僅かな集落が点在する、いわゆる「田舎」。



しかも冬の寒さは厳しく、百科事典によれば「大阪の北海道」……?(北海道じゃ相手が悪い気がする)。


そんな能勢町には大阪最北かつ大阪を代表する日本酒造メーカー「秋鹿酒造」さんの酒蔵がある!



今回は【秋鹿酒造】さんについて独自の視点から迫っていきます。


最大の特徴―"農醸一貫造り"

日本酒の仕込み時期は大体「秋〜冬」。その時期は休みなく働いて、夏にゆっくり休めるっていうのが普通の酒蔵の一年の過ごし方です。


夏は日本酒の原料となる「米」がグングン育っている時期だから、お酒を造ろうにもお米がない。


つまり、普通は「米は米、日本酒は日本酒」っていう分業がなされているってこと。


でも秋鹿さんは違います。


土地を活かして「米」からお酒を作る=「農醸一貫」!



酒蔵の目の前に広がる田園地帯、その中に秋鹿さん自身の田んぼも所在。


「自家栽培米」を使ってまさに"ゼロ"から行う醸造。


全国でもかなり珍しいやり方です(今は不可能だけれど、ゆくゆくは全部自家栽培米醸造にしたいとのこと)。


能勢の澄んだ空気と水をいっぱいに含んだ酒は、日本酒特有のすっきり感に加え、香りとコクがすごい。料理に合う。


中でもその独特の酸味は海外の方にも評判と言います。すごい、秋鹿さん。


田園地帯に広がる遺跡群……古代のお酒生産!?

秋鹿酒造さんが所在する能勢町倉垣地区は能勢町の中でもかなり北方。


兵庫県川西市から能勢町まで伸びる能勢電鉄線の終点・妙見口駅からはなんと徒歩1時間半。


バスはあるけどまばらな運転本数。車がないとアクセスしにくい場所だ。


人口は多くない。秋鹿さんの小学校が統廃合されたくらいだからね。


しかし昔からずっとそうだったわけじゃないんですよ。


実は能勢町倉垣地区全体が縄文時代から中世以降まで続く集落遺跡なんだよ!(僕の大好きな古墳もいっぱいある。)




つまり、秋鹿酒造の目の前に広がる田んぼの真下にはずーっと昔から続く人々の生活が保存されているってことです。


大事なのは『倉垣遺跡で何が発見されたのか』。


「甑(こしき)」「竈(かまど)」「甕(かめ)」


これらの遺構や土器は7世紀前半(聖徳太子の時代~)の住居跡から出てきた。


実は「甑」「竈」「甕」は今でも日本酒生産に使われる道具・設備なのでございます。


知多半島の赤味噌文化研究でも登場した「甑」はいわゆる蒸し器のこと。


日本酒生産では炊いたお米ではなく蒸したお米を用いる。


甑(土器)と火をくべる竈は別のものだったけど、今では両者が一体化・大型化している。




そして「甕」は貯蔵用の土器。


兵庫県博で展示されている須恵器の甕。画像はWikiより。


お酒を入れておくタンク。この中で発酵が進む。

今では木桶やタンクに姿を変えているけれど、秋鹿さんにも昔使っていたと思われる甕が残っているとお聞きしました。


蒸したお米(もしかしたら昔はほかの穀類やクリなどを混ぜていたかもしれない)に麹菌を付け、発酵させる。そんな営みが思い起こされるところ。


実際に古代の倉垣の人々がどういう生活をしていたのかはわかりません。タイムマシンでも開発されない限り証明は不可能です。


だけど「お酒を造っていた」可能性は大!だと僕は思います。


もし古代の能勢の人々がお酒を造っていたとしたら……


秋鹿酒造が創業する以前から、能勢町倉垣はお米やお酒造りに向いている土地だってことじゃないだろうか!?


(ちなみに秋鹿酒造は明治年間の創業とされている。でも実はそれ以前の記録がないからそういうことにせざるを得ないということらしい。)


万葉集や風土記にも登場する『歌垣山』

能勢・秋鹿酒造さんの裏手の山は「歌垣山」。当然のごとく鹿が生息している自然いっぱいの山。


その山が日本最古の和歌集「万葉集」や日本各地の風土の特色や歴史を叙述する「風土記」(ともに奈良時代)にも登場すると聞いたら、みなさんは驚くでしょうか。



歌垣っていうのは、『未婚の男女がある場所に集ってお互いに和歌を詠み合い、気に入った相手と結婚する』みたいな風流な行事です(悪く言えば合コン・婚活パーティー)。



能勢の歌垣山でももちろん「男女の和歌の詠み合い」が行われていた。


完全に憶測なんですけど、その場にお酒が存在した可能性、高い気がします。


まとめ―能勢町倉垣では秋鹿酒造創業以前からお酒を造って飲んでいた!?

秋鹿酒造さんが貫く『農醸一貫』。自家栽培米で日本酒を作るという試みは全国でも珍しいものなんだよね。


秋鹿さんが続けている農醸一貫のお酒造りは、大規模なお酒生産工場が誕生したことから失われてしまった古き良き日本の文化を今に伝えている。

「生酛造り」と呼ばれる作業、めちゃくちゃ重労働だ

倉垣遺跡出土の土器・竈や歌垣山の言い伝えは、秋鹿さんのある能勢町倉垣地区で古代からそのような古き良き日本酒醸造を行っていた可能性を示唆しています。




もちろん古代のお酒造りと現代の秋鹿酒造さんには直接のつながりはない。


でも、倉垣という「土地」が秋鹿さんの創業を促したとすれば、なんともロマンのある話だよね。



秋鹿酒造が選んだ土地は古代からずーっと「農業」と「醸造」、そして『農醸一貫』に適した場所だったってことが言えるんです!

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