倉敷美観地区で思いっきり歴史とグルメを堪能してみた。
- コフンねこ
- 2018年12月3日
- 読了時間: 3分
更新日:2019年7月2日
江戸時代の街並みが残る街・倉敷。
当時の倉敷は”天領”。いわゆる幕府の直轄領だったんだ。しかも明治時代以降には幕府権力が整備した水運によって紡績業が大いに栄えた。
現在はというと、その頃から残っている建物が観光資源になって多くの人を集めている。マリオだったらずっとスター状態みたいな場所、それが倉敷。
でも、あの西日本豪雨で大変な被害を受けた場所もあり、観光客は減少したという。

豪雨から約5か月、今はどうなっているんだ?
せっかく時間があることだし行ってみよー!ってなわけで意気揚々と電車に乗り込む。
途中相生から乗ったのは、倉敷の古い街並みや秋の色づきにピッタリの古めかしい国鉄型電車。



倉敷の駅は南北の出入り口で全然雰囲気が違う。
北口はからくり時計や広場があって、異国情緒漂う不思議な空間。



南口は普通。

実は古い街並みの残る『美観地区』は南口から徒歩10分〜。雰囲気に騙されてはいけないっていう典型例なんです。
で、美観地区というのはこちら。



おお……。


『美観地区』っていう呼び名にも納得せざるを得ません。
倉敷という地名はこの地に夥しい数の「倉」があったことからきている。

物流の拠点とはまさにこのこと。
瀬戸内海を通じて集められたモノが、倉での貯蔵または加工を経てまた外に出ていく…!


あっぱれ倉敷。
そんな「倉」を改造した建物に『倉敷考古館』がある。

倉敷市、実は古代遺跡の宝庫。

倉敷考古館は半世紀以上にも渡って岡山沿岸部の遺跡を調査してきた、いわゆる「学術研究の場」でもあるんですが、、、
江戸時代の倉×先史古代の貴重な遺跡遺物=??
何が貴重で何が貴重じゃないのかわからなくなる(わかるけど…)。不思議な感覚です。
遺物に関して語り始めるのはそんなに需要がないと思いますのでちょっとだけ写真をお見せして終わりにしたいと思います!





公式ページが美しい(先輩談)ので見てください…(^▽^)/
http://www.kurashikikoukokan.com/
で、お次はごはん。
まずは写真を。

普通の蕎麦に見える、蕎麦じゃないの?って思うでしょ。
実はこれ、岡山で栽培された「たかきび(イネ科モロコシ属)」の麺。

そばに似たのど越しとうどん以上のもちもち感。そしてたかきび独特?の甘い風味。
加えてセットには岡山の旬の野菜が薬味としてついてくる。

麺と一緒に食べると口いっぱいに岡山が広がる!!
しかもこれだけじゃない。岡山県のブランド牛の「千屋牛」のミニ牛丼が付く!?

これがやばかった。牛の旨味と脂の甘さがやばい。
牛丼もつけると値が張っちゃいます。税抜き1800円。でも倉敷まで来たらぜひ「たかきびめん」だけでも食べてほしいなーって思います!!
さあ街歩きを再開。
明治以降の倉敷繁栄の礎となった場所に行く。
ここは「倉敷アイビースクエア」。

倉敷創業の紡績会社『クラボウ』さん発祥の地。
今はホテルや観光施設として使用されているこの赤レンガの建物、実はもともと工場でした。

その証拠に呼び鈴や、

壁面全体に広がる年季の入った蔦。

でもこれだけじゃない。
この工場、「倉敷代官所」の跡地に建てられているんです!


当時のお堀もそのまま残ってる。


倉敷発展の中心地だった、と言いたくなるけど
今もこうしてたくさんの人がいることを思うと、要は昔も今もココは倉敷発展の中心地だってことだ!
そしてこの『クラボウ』や倉敷の豪華で有名な美術館の「大原美術館」を創った名家「大原家」の江戸時代以来の住宅が今でも残っています。

上から降り注いでくる言葉、

「大原家」の年表、

そして美しい庭園。



大原家がいかにスゴイ一族だったかわかる。
時間の関係で大原美術館の見学ができなかったため、やむを得ず訪れた「大原家住宅」。でも、国指定重要文化財の名に恥じぬ輝きを放っていたように感じました。
ここまでゆっくりしていると、時はすでに夜。
日が落ち、人が少なくなる時間帯。倉敷美観地区の姿はというと、






個人の感想にはなるけど、昼間以上に美しい。
あ、帰りは新幹線に課金しました。ビバ最新技術。
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