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日本発酵食品の起源を考古する~過去編①縄文から発酵食品業界へのメッセージ

  • 執筆者の写真: コフンねこ
    コフンねこ
  • 2019年4月20日
  • 読了時間: 5分

前回はこちら


どうも、コフンねこです。



前回私は日本の発酵食品のうち「酒」「醤油」「味噌」について触れ、その製造において【蒸す】という工程がキーとなっていることを説いた。



日本の発酵食品生産には【蒸し調理】が欠かせない。この背景には「酒・醤油・味噌の発酵を担う麹菌(ニホンコウジカビ)がむした穀類に付きやすい」という特徴が挙げられる。



しかし、その肝心の蒸し調理は日本の歴史の始めには存在していなかった。



つまり、今の系譜に至る日本的な発酵食品の誕生は蒸し調理の登場を待たねばならないのである。



今回は【過去編】と題し、日本に蒸し調理が登場する以前―主に縄文時代―を対象に、日本発酵食品の文化の起源に迫っていく。




1.土器の始まりと煮炊き【蒸し調理以前】

人類史上一番最初に登場したのは「焼く」調理だった。そりゃそうだ、道具いらないもん。火を起こして置くだけ。



そして次に行われたのが「煮る(炊く)」調理。



今から約16500年前、日本で初めての土器が作られた。当初は何も文様のないただの焼き物だったが、次第に縄目のような模様のついた「縄文土器」へと進化していく。



その「土器」の主要な目的こそ”煮炊き”だった。



土器に水を入れて火にかけ、木の実のアクを抜いたり、魚や肉に火を通して美味しく食べられるようにしたり……もちろん土器は煮炊きだけでなく、料理の盛り付けや液体の貯蔵など様々な用途に使われる。



弥生時代になって水田稲作が始まってもなお、お米を炊く道具は土器。土器でお米を煮て、お粥のようなものを食べる、「一家に一台炊飯器」という状況は弥生時代以来の伝統なんだよ。



しかし、縄文〜弥生時代には「蒸し調理」がなかったらしい。断言するのは危険だが、蒸すことのできる道具や土器=「蒸し器」はほぼ見つかっていない。料理の中心は煮たり焼いたりすることだったのだ。



(弥生土器の中にはその底部分に丸く穴の開けられたヤツが存在する。なんとも蒸し調理のできそうな道具なのだけれども、ソレが調理道具なのか否かについては論争が続いているのでここでは言及を差し控えます。)





2.縄文時代と原始的な醤(ひしお)

当初「蒸し器」が存在していなかった日本。したがって蒸し器登場以前の日本では麹菌を媒介とする発酵食品もまた存在し得ない。



じゃあ蒸し器登場以前の日本、特に縄文時代の発酵食品にはどんなものがあったのだろうか?



「日本の縄文時代にもお酒や醸造調味料の類はあっただろう」とは言われている。しかし、実際のところかなり証拠に乏しい。



有機物は土中で分解されて跡形もなくなってしまうからね。



でもそのあたりは人類学や民俗学が世界各地の状況等から補足してくれているので、積極的に援用しよう。





“文明化の進んでいない、つまり蒸し調理が進展していない社会においては「肉醤」「魚醤」「草醤」といった醸造調味料が作られる。” 



醸造調味料に関する人類学・民俗学的な見方は以上の通り。



日本の縄文時代にも上記のような『原始的な醤』が存在していてもおかしくないってことだ。



ただし先述の通り縄文弥生の日本に「蒸し器」は存在していなかった。現代の醤油・味噌等の『醤』の発酵に用いられる麹菌は蒸し調理無しには働き得ない。



肉醤・魚醤(今でも”しょっつる”なんかが知られているよね)・草醤(用は漬け物にあたる)は、食品を塩漬けにして貯蓄保存する過程において天然の酵母菌や乳酸菌が働いた結果出来上がった【偶然の産物】





慣れてくれば生産しようと思って生産できるだろうけど、もし有益な菌ではない別の菌が働いたら食材はたちまち腐っちゃう。『原始的な醤』は恒常的に生産を続けられるようなものでもないってわけだ。





3.縄文時代の酒造を語る『有孔鍔付土器』

その一方で酒造に関しては縄文時代の土器がその様相を伝えてくれている。



山梨県や長野県の一部地域で出土する「有孔鍔付土器」



奇妙な文様と小さな穴々が特徴のこの土器は、縄文時代中期(今から約4500年前くらい)の酒造具だった可能性を秘めている。



なんでも有孔鍔付土器の内側にはヤマブドウの種子がついていたり、出土地点周囲の土からは小バエの死骸や蛹が大量に見つかっているのだと言う。



小バエはアルコールの匂いに寄せられて集る。アルコールの生成源は……土器の内側に付着していたヤマブドウだろう。


あきた森づくり活動サポートセンター | モリエールあきた/森と水の郷あきた

どうやら山梨県一帯の縄文人たちは食用の甘酸っぱい木の実(ヤマブドウ・ニワトコ・サルナシ)を使ってワインを醸造していたらしいのだ。



そう考えると、土器の口部分に無数に存在する小さな穴は「アルコール発酵で生じたガスを逃がすための穴」と思えるし、奇妙な文様に関しても「発酵や酔いといった不思議な現象に対する信仰の形」と思える。



現代でもブドウやワインの生産が盛んな山梨県でそんな営みが行われていたのだから驚きだよね。



しかしここでも麹菌は登場しない。活躍するのはあくまで天然の酵母菌や乳酸菌。



有孔鍔付土器ができて初めて酒造りが行われたわけではなく、「そこら辺の適当な土器に適当に突っ込んで貯蔵していた木の実が勝手にお酒になっていた」という偶然の発見が最初にあったはず。



『原始的な醤』と同じで、失敗して単なる腐った果実が出来上がる可能性もあった。そこで、うまくお酒を造れる道具として『有孔鍔付土器』が考え出されたのでは?




4.まとめ:「蒸す」以前の発酵とは?

縄文・弥生の時代、蒸し調理が存在していなかった頃にも【発酵食品】はどうやら作られていた。けれどもあくまで「偶然の域を出ない」というのが正直な感想かな。



・生の食材を塩漬けにして貯蔵したい⇒『原始的な醤』

・生の果実を土器に入れて貯蔵したい⇒『縄文ワイン』



最初から「発酵させよう」と思ってたわけじゃないんだよね。



したがって上記のような縄文の発酵食品の作り方はとてもシンプル。



軽く火を通すことはあったかもしれないが、基本は原料を土器に入れておくだけ。一つの容器で完結してしまう。



現代の発酵食品と比べて工程が少ない代わりに、天然の酵母菌や乳酸菌が働くか否かは運次第。悪い菌が働けば腐ってしまうわけで。



「安定的な生産」とは言えない。



特定の菌を植え付けるやり方が普及するのは「蒸し調理」の導入以降の話……。





⇒次回は蒸し調理の導入に伴って、工程が複雑化・生産が安定化して現代の姿に迫っていく古墳時代以降の発酵食品について語ります。


 
 
 

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